Hachi Medida

熱海の海景と時空間ストレッチ        

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ー 天球観測のはじめかた ー     

大きくやわらかく世界を知覚することで、人間中心主義の現代社会を脱しおおらかに生きることを編み直せないだろうか。多視点、非人間、プラネタリー……社会の見え方を揺らす現代アートとともに、世界認識の体系化を試みる連載コラム。

vol.1では熱海で体験した、アートと自然がもたらす心ゆたかな過ごし方。日常生活から少し離れて、リフレッシュをした後に感じたことをご紹介します。


     

朝起きる。味噌汁と副菜をつくりながら子供のお弁当をつくって、並行して気になっているトピックス(庭づくりから新NISA、テスラの新車レビューまで様々だ)をYouTubeで流し見しながら、提案が明日に迫っている企画書のページネーションを頭のなかで組み立てる。やがて子供が起きてくると、やれ喉が渇いたとかプリキュアを見たいだとかが加わる。

あるいは、仕事のワンシーン。次の打合せまでの限られた30分に、溜まったdiscordやslack、LINEといったそれぞれのコミュニケーションツールを渡り歩いては返信を打ち返していく。打合せが始まれば、目の前の無機質なモニターに向かってつくり笑顔で話しかける。

「テレビは離れて見なさい」とよく母親に怒られたけれど、実に慌ただしい、近視眼的な視野のなかでぼくらは生きている。目の前をいろんなものがわーっと駆け抜けていって、気がつけばすり減ってなくなる。人生のタイムリミットだ。

慌ただしい日常の解決策として、昨今ではリトリート──つまり生活からの退却と心身のリフレッシュ──が提案されていて、ぼくもやれアウトドアだサウナだと、意識的に取り入れている。

たとえば熱海は、東京で活動する人にとって今昔問わずちょうどいいリトリート・スポットだ。観光地として栄えたのは昭和の話かと勝手に想像していたが、先日訪れたときは日本人・外国人問わず人で溢れかえっていた。そんな熱海では近年アートによるまちづくりが活発化していて、「PROJECT ATAMI」と称される活動が2021年に始まって以来、フェスティバルの開催や作品制作の支援、アーティスト・イン・レジデンスと徐々に活動を多角化している。先日スタッフをしている知人から聞いたところでは、教育プロジェクトやコミュニティづくり、制作スタジオの開設といった準備も進んでいるそうだ。

市川平《バオバブ プランテーション (Baobab Plantation)》

そんななかコロナ禍に始まったこのプロジェクトの人たちを見ていると、何よりも自分たちが楽しんでいるように見受けられる。対外的な目標を追いかけるのではなく、もう一度、もうちょっと、自分たちが楽しめる温度感で地域とアートの営みを編み直そうよ──そんな肩の力を抜いた等身大の取り組みが、コロナ禍以降増えているように感じられる。そのひとつに数えられるのが、ここ熱海での「PROJECT ATAMI」だと思う。

熱海にできたアートスポットのひとつ「ACAO FOREST」は20万坪もの庭園で、広大な丘陵のなかにバラやハーブ、四季色とりどりの草花が植えられている。アート作品も敷地の各所に点在していて、散策を楽しませてくれる。低いところから高いところ、こっちからあっちまで、山の各所に作品があるのがいい。巡っていると、頭のなかで星座のように結ばれ、大きな山の視座を感じることができる。

秋山美晴《森に沈むための再生》

ガーデンの中腹にある隈研吾設計の「COEDA HOUSE」から相模湾を見下ろしてみよう。スパンコールのシーツを敷いたかのようにさざなみがたゆたい、ずっと先まで伸びる海と空は、遠くのほうで淡く溶けて交わる。海、空、光──それらが留まることなく交わり生成され続けている。きっとこの海景は何百年も変わっていない──そう思わせてくれるような景色だ。

熱海はいい。郷愁ただよう町並みと、何百年も続いてただろう海景の両方を体感することができる。短いものと長いもの。近視眼的な生活で縮こまっていた時間軸のストレッチをするには最適な場所だ。この海景を見ながら、なつかしい昭和の残り香と、遠い未来とを想像してみるのも、ゆたかな時間だと思う。

そのときスマホが忙しなく振動して、ぼくは現実に引き戻された。電話は差し迫っている仕事の相談で、待ったなしの内容に目眩を感じながら、穏やかな海景から現実にピントを合わせようとパチクリした。

穏やかな気持ちはすっかり萎えてしまって、考える。リトリートにサウナ、アウトドアといったリフレッシュはぼくも好きだし積極的に行うが、もう少しちがうやり方がないだろうか。現実に引き戻されれば、その効果はすぐに薄れる。「(リフレッシュしたから)また頑張ろう」というのも対処療法的で、解決には至っていない。行動を変えるだけでなく、認識──自分のなかにインストールされている世界を把握するOS──を変えることができれば、それはシステムとして、どんなに多忙だろうが子供が愚図ろうが、世界をおおらかに捉えることができるのではないか。もう少し遠大なもの、崇高なものを世界認識そのものに取り込むことができれば、ぼくらの生き方はもう少しゆたかで多様になるのではないか。

そんな問題意識とともに、観測をはじめようと思う。

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writer | 

田尾 圭一郎

「田尾企画 編集室」代表、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 特別招聘准教授。アートの企画・編集・コンサルティング/2006年、国際基督教大学卒業。博報堂を経たのち、美術出版社「美術手帖」ユニットにて企業や自治体とのアートプロジェクトの企画、地域芸術祭の広報支援、雑誌・書籍の編集、展示企画などに携わる。

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