Hachi Medida

vol.2 「展示では語りきれない信濃町の話。」

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長野県信濃町が運営している「信濃町ファンクラブ」。町内外の人々に信濃町の魅力を発信し、関係人口を創出・拡大することを目指している活動の一つです。2026年2月27日(金)に「展示では語りきれない信濃町の話。」と題して、信濃町ファンクラブ主催のイベントが東京で開催されました!8 Media編集部長が暮らしている町でもある信濃町。彼女はこの町で、シティプロモーションにも携わっています。信濃町ファンが多く集った本イベントに8Media編集部も参加!そのレポートをお届けします。



3つの文化施設が繋ぐ信濃町の魅力

今回のイベントのユニークな点は、登壇者が学芸員の方々であること。実は信濃町には町営の文化施設が3つもあるんです!それぞれの施設の学芸員が出張して、「二拠点生活」の魅力を様々な角度から語るという知的好奇心がくすぐられる内容になっていました。

2026年に町制施行70周年を迎え、様々な企画が進行中の信濃町には「ナウマンゾウ博物館」「一茶記念館」「黒姫童話館」という3つの町営文化施設を擁しています。「ナウマンゾウ博物館」の近藤館長、「一茶記念館」の渡辺学芸員、「黒姫童話館」の山原学芸員が各施設を代表して東京に出張してくれました。

地層から考える脱炭素 - ナウマンゾウ博物館 近藤館長 -

「ナウマンゾウを研究することは地球を研究すること。」と話す近藤館長。野尻湖は“宝の山”と言えるそうです。それがなぜ二拠点生活と関係しているのでしょうか?近藤さんは太古の世界へと私たちを誘います。

 

47億年という歴史の中で、過去5回の氷河期があったそうです。その最後の氷河期の姿を残しているのが野尻湖の地表。今もなお様々な化石が見つかり、これまでに発掘できたナウマンゾウは59頭にも上るのだとか。これらの化石は当時の地球の環境を私たちにも教えてくれる貴重な資料です。

 

そもそも中国に生息していたとされるナウマンゾウは、氷河期によって水位が下がったため海を渡り、野尻湖にやってきたのではないかと推測されています。まだまだ謎が多いナウマンゾウ。隔年で野尻湖で開催している発掘会では全国津々浦々から老若男女が集まり、信濃町の子供も参加。自分たちで発掘したものを、自分たちで測量。信濃町の歴史を体でも感じてもらう貴重な場になっています。

 

現在の地球は温暖化を迎えています。気温の上昇は、過去2,000年以上に類を見ないほど急速に進み、このまま放置すれば大量絶滅の第6期になってしまうかもしれないと近藤さんは警鐘を鳴らします。

話はナウマンゾウから、人類のことへ。氷河期が終わりを迎え、縄文海進(約6000年前)期を迎えると水位が増し、現在の東京や長野市もほぼ水浸しだったのだとか。人類は暮らせる土地を求めて移動し、標高が他より高かった信濃町にたどり着いたそうです。 

 

「僕は、地球環境を調べるためにナウマンゾウを研究していますが、災害時に人間はより良いところに移動してきているんですよね。気候変動が実生活にも影響してきていますが、新たな移動先として信濃町に来てください。」

 

壮大な地球の歴史の一部だったナウマンゾウと人類の大移動。それが今も続いていると感じさせてくれる内容でした。

江戸の香、一茶の旅路 - 一茶記念館 渡辺学芸員 -

江戸時代を代表する俳人の一人、小林一茶。「一茶記念館」では彼の生い立ちや、当時の信濃町の様子、一茶の詠んだ俳句の数々を鑑賞することができます。信濃町柏原で生まれ、十五歳で江戸に上京。江戸と故郷を行き来していた一茶の暮らしを渡辺さんは「二拠点生活」の先駆けのような存在として語ります。

 

当時、江戸と柏原は250kmほど離れていましたが、7日程度で歩いて移動していたそうです。1日あたり40kmほど歩いていたことになります。いつ、どこを通っていたかの記録も残っており、あるときは妙義山で登山をしてから街道に戻ってきたこともあったのだとか。当時の一茶の健脚ぶりがわかるエピソードです。

 

一茶が二拠点生活となった契機は父親の死。遺産相続の話をするために帰郷するように。戻ってから数ヶ月滞在し、再び江戸に行くという暮らしを10年ほど続け、家族との不仲もあり、地元でありながら借家暮らしをせざるをえなかった一茶は「心から信濃(しなの)の雪に降られけり」と、故郷の人の冷たさを嘆く句を残しています。

そして相続問題が解決した一茶が、二拠点生活を終え柏原で永住する覚悟を決めた想いが「これがまあ終(つひ)の栖か雪五尺」という句から伝わると渡辺さんは話します。五尺は現代で言うと150㎝ほど。特別豪雪地帯である信濃町の冬の厳しさも感じられる一句です。

 

「一茶の生活が安定していくにつれて、句も肯定的な内容ものが増えていきます。例えば「ほちゃほちゃと雪にくるまる在所かな」は、信濃町の綿毛のようにふんわりとした雪のことを表しています。自分で住んでいたからこそ、信濃町らしさが伝わる句だと思います。」

 

今年、200回忌を迎える小林一茶。信濃町は『七番日記』をオークションで落札。江戸後期の俳人・小林一茶が48歳から56歳(1810~1818年)にかけて綴った自筆の句日記という貴重な資料を所有することができました。その特別展が8月から開催されるそうです。今後もますます信濃町から目が離せなくなりそうな話題ですね。



ファンタジーの根源 - 黒姫童話館 山原学芸員 - 

世界の童話、絵本、信州の民話などを収蔵、展示している「黒姫童話館」。この童話館が設立された背景には「二拠点生活」にありました。

 

日本における児童文学の第一人者である坪田譲治(代表作「きつねとぶどう」「日本むかしばなし」など)。釣り好きだった彼が知人に勧められ野尻湖に訪れ、頻繁に訪れるように。作品にも信濃町の名前が出てくる作品があるほど思い入れのある場所だったようです。

 

そこで町長が黒姫に別荘区画を作り、赤羽末吉、いわさきちひろ、いぬいとみこなど多くの著名な児童文学・絵本作家、絵本画家が別荘を建て、二拠点生活を始めるように。そこから童話やメルヘンをテーマとした童話館の建設構想が立ち上がり平成3年に「黒姫童話館」がオープンされました。

 

有名な「スーホーの白い馬」は黒姫で構想を練られていたのだとか。その他にも信濃町を舞台にした作品や昔の黒姫駅の駅舎が絵本の中で描かれるなど、作家と信濃町の縁の深さが数々のエピソードからも伝わります。

 

「みなさんは“ものがたり”とは何だと思いますか」

 

唐突にその問いが投げかけられました。お話の世界へ行って帰ってくる。これこそが実は物語の基本形だと山原さんは説明します。例えとして出されたのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」。主人公は本を読むうちに、その本の世界に入り、やがて現実に戻ってくるストーリーです。この本の単行本の装丁は、実は本の主人公が読んでいるものと全く同じ内容。読者も主人公の追体験をしているのです。

 

同じことが、信濃町でも体験できると話す山原さん。

「くまたんシリーズなどで有名な大友康夫さんは、童話館の周りを取材しながら絵本を書き残しています。ネズミを主人公にした「私おかいものにいくの」では、取材中では実際にネズミの大きさを想定して、景色を見たり、その時に見かけた植物も本の中に描かれています。

 

実はこの本の周りに描かれているパンは、以前信濃町にあったパン屋さんで本当に売られていたパンです。大友さんは信濃町といういつもと違う世界に来て、物語を見つけて現実に戻っていったのではないでしょうか。是非、あなたの物語を信濃町で作ってください。」

 

今年の4月12日からは、日本の森林保全活動の先駆けとも言えるC.Wニコル氏が黒姫でアファンの森をつくり始めて40周年になるのを記念した展覧会が始まる黒姫童話館。信濃町に住む人、訪れる人との物語が今年もたくさんつくられていくのでしょう。

 

<編集後記>

関係人口の増加は、少子高齢化・過疎化が進む地方自治体にとって欠かすことのできない重要課題の一つです。その土地に魅力を感じる理由は人それぞれではありますが、今回のイベントでは「ナウマンゾウ」「小林一茶」「童話」という一見バラバラに見えるキーワードから信濃町の魅力が深掘りされ、地域の魅力を多面的に捉えているのが印象的でした。


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8 編集室

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