
持続的な成長のために企業が社会的責任を果たすことの重要性が増しています。「ESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:企業統治)経営」への関心の高まりも、その現れの一つと言えるでしょう。ですが、この考え方が提唱される以前から社会的活動と経済的活動、それらを両立してきた企業は少なくありません。名称がつく前から連綿と行われ、老舗のように続いているESG。この連載ではそんな「老舗ノESG」を取り上げ、取り組んできた企業の精神性と未来に向けたアクションをご紹介します。
『日本の工芸を元気にする!』をビジョンに掲げる中川政七商店。工芸に根差した生活雑貨を扱う製造小売事業と全国の工芸メーカーを支援する産地支援事業を柱に、全国に60店舗以上の直営店を展開するほか、工芸メーカーの経営コンサルティングや教育講座、合同展示会「大日本市」の開催などへと広げている。小さな商いを原点に、300余年歴史においてどのような精神性が受け継がれてきたのか。前編・後編に渡り、代表取締役社長 千石あや氏に伺った。
中川政七商店の創業は、1716年。幕府御用品として栄華を極めた高級麻織物「奈良晒 (ならざらし) 」の黄金期に、初代中屋喜兵衛が卸業を始めたのが原点だ。手績み手織りの風合いにこだわりながら商いを広げていった。しかし、時代を重ねる中で産業の衰退がはじまり、中川政七商店も廃業の危機に直面しながら改革を余儀なくされる。ひとつは江戸時代後期。越後や近江といった他産地の勢いが増し、生産量が往時の10分の1ほどに。次に明治維新による武士の消滅。武士の裃として多くの需要を受けていた奈良晒は、これにより衰退が決定的となる。しかし、9代 中川政七が品質へのこだわりはそのままに、汗取りや産着などを開発することで市場を拡大する。その後も危機に直面し、廃業が危ぶまれる局面を迎えることになるが、そのたびに当主は新たな挑戦に向かうことで発展につなげる。現在、柱のひとつとなっている生活雑貨事業もそのひとつだ。

「昭和中期には織物産業の機械化が進み、奈良晒を担う職人の技術も消え去ろうとしていました。それでも手績み手織りの風合いにこだわった11代当主は、韓国や中国に製造を委託するなど模索しました。そして、12代中川巌雄は、麻の茶巾づくりを突破口にして茶道具業界への参画を図り、事業を拡大させます。手績み手織りの麻織物は、非常に手間のかかる貴重なものづくりです。だからこそ余す所なく使い切りたいとの思いが募り、ハギレで麻小物などの生活雑貨をつくるようになりました。」と千石氏は話す。
現代風にとらえると、素材の有効活用は環境負荷の軽減策であり、伝統技術を守り継ぐ取り組みは社会貢献性の高さで語られそうだが、当時はそのような意識はなかったという。大切に使いたいという思いの発露であり、事業を存続させる経営判断だった。

他方、いくら貴重とはいえ、衰退が危ぶまれていた産業でノウハウを持たない事業を起こすことにリスクは感じなかったのだろうか。
「300年を超える長い歴史の中で業態変更も含めた挑戦を重ねてきた中川政七商店ですが、根底にあったのは、自然はコントロールできないという考えでした。自然の素材を扱う商いが原点なので、計画どおりにいかないことはあたりまえ。柔軟な対応が常だったのです。そしてもうひとつが、とらわれない精神。中川家には家訓のようなものはありませんが、先代も含め日常的に口にするのが『とらわれるな』。失敗にもとらわれないですし、祖業にもとらわれなかったからこそ、いまがあると感じています。」と千石氏は話す。

製造小売事業から派生し、もうひとつの柱となっているのが産地支援事業だ。工芸に根差した生活雑貨の企画・製造を赤字から再生させた自社の経験を活かし、経営やブランディングに関するノウハウおよび流通支援を、日本の工芸を担う作り手たちに提供している。流通支援では合同展示会『大日本市』を開催し、工芸メーカーが小売店バイヤーと出会い商談する機会も提供している。製造小売事業とあわせ、ビジョンとして掲げる『日本の工芸を元気にする!』を具現化する展開は、自社の利益だけでなく社会への貢献度も高く、まさにESG経営の実践に思える。どのような思いで向き合っているのだろう。
「コンサルティングといっても支援ではなく、あくまでビジネスです。そもそも作り手さんがいなければ、私たちの持続性も危ぶまれます。工芸に関わる人たちの間では「技がすべて、いい物をつくれば認められる、お金儲けを考えすぎるのは悪いこと」という考えもありますが、苦しい経営を本気で再建したいとお考えの方も。そうした方たちに、日本の工芸を元気にする仲間の立場で、自立自走を目指して1、2年の期間限定で伴走させていただく。私たちのやり方を体系化したフレームワークはご提供しますが、あくまでも改革の主体は作り手さんで、取り組みを押し付けることはありません。」と千石氏は話す。

そのうえで『ビジョン51、利益49』の割合で事業を推進するという。『日本の工芸を元気にする!』というビジョンが最終的には勝つが、利益の追求も妥協せずギリギリまで均衡させる。バランスが大切なのだ。こうした判断とも相まって、『大日本市』は展示会の企画や運営の実績がなかった初回から自前主義を貫いている。
「イベント会社などに委託すればスムーズかもしれませんが、投資が先に立ちすぎて利益率が下がれば持続性が保ちづらい。それ以前に、自分たちで挑戦したほうが面白いですよね」と千石氏。
リスクを取りながら、汗をかきながら、自分たちも変わり続け、走り続ける。この熱量が作り手や小売店に伝播し、お互いに支え合い、高めあう関係が生まれているという。まさに、日本の工芸を元気にする仲間たちの連帯だ。2025年に開催された『大日本市』に出展した作り手は100社。工芸の未来を照らすような、元気がみなぎる場となった。
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