Hachi Medida

明日もあなたを縫っていく

メイン画像

ー 天球観測のはじめかた ー   大きくやわらかく世界を知覚することで、人間中心主義の現代社会を脱しおおらかに生きることを編み直せないだろうか。多視点、非人間、プラネタリー……社会の見え方を揺らす現代アートとともに、世界認識の体系化を試みる連載コラム。 vol.15は写真家・田附勝の新作展示「ママ」を鑑賞した時のこと。彼の私的な記憶や喪失を通じて、鑑賞者自身はどのような影響を受けていくのだろうか。


写真家・田附勝の新作展示「ママ」がgallery side 2で開催された。他界した母がずっと制作してきた息子(田附)や娘のためのキルトを撮った写真と、陶芸家・森岡由利子のうつわによる展示だ。

田附の母は生前、50年以上にわたってキルトをつくり続けてきた。古着や骨董市で買った布地などをコツコツと集め、ゆっくりとパッチワークに縫い、ソファカバーやブランケット、鍋つかみなどに仕立てていく──それらからは静かに積もる粉雪のような時間を感じることができる。そこにはひとりの女性が布を縫い合わせていくと同じに積み重ねた思いや時間が漂い、この一家の生活が想像され距離が縮まるのと、と同時にそのいっぽうで、それらが額装され写真作品として対象化されることで、遺され生きていく田附と記憶との距離が縮まらないこともまた感じられた。

田附は、時間の層と歪みをこれまで扱ってきた。「DECOTORA」では都市部と東北を昼夜往復する旅路と、そのあいだに怪しく光る個人のセカイを、「KAKERA」では縄文土器の何千年という長大な歴史と、それをくるんだ新聞紙の日毎繰り返される更新を。そうした過去の作品たちが鈍く重い力強さを放つのに対し、今回の「ママ」は過去のシリーズと同様に時間の層と歪みを生みながら、至極繊細で私小説的なモチーフとなっている。

岡本太郎は著書『日本の伝統』(光文社、2005年)のなかで「過去の方は非常に広大に、全世界的にひろがって来ています。(中略)もしわれわれを強力に限定し、規制するものがあるとすれば、それは逆に現在、現実にこそあるのです。」と述べている。得てして人は未来に変化の可能性を感じ夢かあるいは不安を抱くが、最終的に実践されるのは常に“現在”というひとつに集約される。だがいっぽうで過去は、様々な視座や解釈によって如何様にも読み直すことができる、有機性と可変性を内包している。私たちは過去をそれぞれに、そして自由に咀嚼し、真実を多元化することができるのだ。

そして、死とはいつだって遺された人のものだ。唐突に声を思い出し、寂しさを掻きむしり、故人の存在を求める。時間の経過とともに沈静をみせるかと思いきや、ふとしたことで喪失は思い起こされ、胸をざわつかせる。死というぽっかりと空いた大きな穴を覗き込むのは、いつだって私たち遺された者だ。

死という過去を自由に咀嚼し得るのだとすれば、遺された田附は“ママ”をどのように受け止め、解釈していくのだろうか。“ママ”という私的な記憶が「ママ」として(つまり時間軸を超越する作品として)形になったとき、まるで栞のように、記憶を、その意味を、立ち戻り読み直すことを可能にさせるだろう。

また、「ママ」という私的な記憶の対象化は、作品を写し鏡に鑑賞者一人ひとりの“ママ”への語り掛けも促す。鑑賞者自身と各々の“ママ”とのあいだには、どんな時間の蓄積があったのか?そこに内在する感情や記憶は、どんな歪みを抱えていくのか?作品を起点に私たちは自身の過去を読み直し、柄の異なるパッチワークのように縫い連ねていく。そのとき出来上がるものは、大きくなくても美しくなくてもいいだろう。かたちの崩れたミッキーマウスからは、“ママ”の込めた思いと時間がたしかに感じられたのだから。

「巾着袋」 田附勝 2025
撮影:2024年2月 埼玉県
C-print edition 3 38.5 x 26.8 cm

次回の記事

前回の記事

writer | 

田尾 圭一郎

「田尾企画 編集室」代表、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 特別招聘准教授。アートの企画・編集・コンサルティング/2006年、国際基督教大学卒業。博報堂を経たのち、美術出版社「美術手帖」ユニットにて企業や自治体とのアートプロジェクトの企画、地域芸術祭の広報支援、雑誌・書籍の編集、展示企画などに携わる。

Hachi Medida