
ー 天球観測のはじめかた ー 大きくやわらかく世界を知覚することで、人間中心主義の現代社会を脱しおおらかに生きることを編み直せないだろうか。多視点、非人間、プラネタリー……社会の見え方を揺らす現代アートとともに、世界認識の体系化を試みる連載コラム。 vol.14は「千葉国際芸術祭2025」を訪れた時のこと。芸術祭を通して考えた市民参加型アートが日常に浸透していく「プロセス」とその評価のあり方とは。
「千葉国際芸術祭 2025」を訪れた。今回から新たに千葉駅を中心に開催された芸術祭で、総合ディレクターを中村政人が務めた。秋葉原で中学校の旧校舎を用いたアートプロジェクト「3331 Arts Chiyoda」を企画運営し、「東京ビエンナーレ 2025」の総合プロデューサー、「SLOW ART CENTER NAGOYA」の企画運営といった、市井の人々が表現の営みを仮設していくプロジェクトを多く手がけてきた中村が、どんな芸術祭モデルを提示するのか、楽しみに感じられていた。
そんな期待を裏切らず、枠組みはかなり特徴的だ。30組以上の(一般市民が作品制作に関わる)参加型アートプロジェクトが実施・展示され、4〜9月中旬がまちなかリサーチ・制作期間、9月19日〜11月24日が集中展示・発表期間、そして振り返り期間として12月がそれぞれ(広義の)会期として設定された。つまり、ハレとしての芸術“祭”だけでなくケとしての日常的な創造行為もまた“会期”として位置づけられたのだが、「アートの社会実装」を考えていくときに、こうした会期設定はアートのソフトランディングとも言うような工夫に感じられた。
ふだん千葉駅に行くことはあまりなかったのだが、モノレールで周辺を行き来しながら東京のそびえる高圧的な印象とちがってちょうどよいサイズのビルだったり、できるオーラの溢れたビジネスマンより普段着の主婦や高校生の多いまちなかだったりと、千葉駅や周辺の駅を往来しながら東京都に隣接するこのまちの風景を感じることができた。時間の都合ですべての展示を見れたわけではないが、見た限りの中で印象に残ったプロジェクトを紹介したい。
千葉駅の吹き抜けスペースにあるスロー・アート・コレクティブ《STATION to STATION》は、竹で組まれた大きな櫓に、参加者が紐を結び、編んでいくことでカラフルな構造体を成していく。よく覗き込むと人それぞれの個性のようなものが編み物に感じられ、この櫓をかすがいに、駅を往来する人々によってまさに関係性が編まれていくことを実感することができた。

西千葉駅の高架下に展示された伊東敏光《臥遊(がゆう)-ガード下神殿-》は、木やアスファルトなどの廃材を組み合わせて全長18mの女神像を構築する。廃材探しから市民は参加したそうだが、その手前には参加者によって祈りが書かれた絵馬が並ぶ。鳥居に掛けられたベニヤの人形も、参加者の人となりを想像させてあたたかい気持ちになる。


いっぽうで高嶺格《脱皮的彫刻》は、参加型作品の多くに共通されるあたたかさとは一線を画す、ゾッとするようなかたちで市民の参加を作品に取り入れている。千葉市長ら芸術祭に携わる組織のトップと市民を人型にくり抜いた石膏が、千葉県庁舎の踊り場に展示される。その足元には名刺が置かれており、私たちはその人型がそれぞれその人物のものであることを知る。型にはめられて現状維持で終わるのではなく、変えていこうと立ち上がった彼ら。その抜け殻から、私たちは自身をどう反芻することができるだろうか。

こういった日常への浸透や市民参加を重視するプロセス型のアートプロジェクトと、アーティストのみによって制作されるファインアートとでは、その評価軸も異なる。一般的な作品は完成した作品に対して、ビジュアルの強さや背景のストーリー、多層な解釈を呼ぶレイヤーといったファインアートとしての評価が、主に批評家やアートファンによってなされる。いっぽうでプロセス型の作品ではその過程が重要視され、ファインアートとしての評価だけでなく参加者の体験深度も評価対象になる。と同時にワークショップに参加した一人ひとりもまた、評価者になるだろう。
芸術祭のように多様な人たちに開かれアートファンも市民も鑑賞に訪れるケースでは、如何に双方の評価ポイントを兼ねられるか(あるいはどちらかに振り切るか)がポイントになってくる。評価軸が多様になれば作品も多様になる。芸術祭の成熟を感じる内容だった。

いっぽうで、外部からその作品たちを見るとき、プロセス型の作品で重要視されるプロセス自体を見ることが難しい。市民は何人ワークショップに参加したのか、作品制作に関わりながらどんな表情を見せたのか、一人ひとりは何を感じたのか。その感興は各人に委ねられ、外部の鑑賞者に共有される機会は多くない。プロセスを作品の一部とするとき、それをどのように可視化し見せていくか──それはプロセス型作品の成熟とともに、次の課題となってくるだろう。
フットワークの軽い広報としてnoteやSNSを駆使していくこともあるだろう、ワードマッピングのようなかたちで感想を俯瞰することもありえるだろう。千葉国際芸術祭の試みは、そうした可視化の一手として次につながるかもしれない。
次回の記事
前回の記事
writer |
田尾 圭一郎

「田尾企画 編集室」代表、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 特別招聘准教授。アートの企画・編集・コンサルティング/2006年、国際基督教大学卒業。博報堂を経たのち、美術出版社「美術手帖」ユニットにて企業や自治体とのアートプロジェクトの企画、地域芸術祭の広報支援、雑誌・書籍の編集、展示企画などに携わる。
ー シリーズ別に探す ー